京丹後市網野町の「とり松」の丹後ばら寿司は、全国の百貨店の棚に並ぶ。贈り物にも選ばれ、いまでは丹後の名を背負う商品のひとつになっている。丹後のばら寿司という料理を全国に知らしめたのは、この店だと言っていい。

その店の会長が、こう言う。

ばら寿司は、商品ではない。

売れている当人が、売り物であることを否定する。ここから話を始めなければ、この料理のことは分からない。

正解がない、ということ

まつぶた。祭りや祝いの日には、この木箱いっぱいにばら寿司をつくった
まつぶた。祭りや祝いの日には、この木箱いっぱいにばら寿司をつくった

丹後のばら寿司には、正解がない。

甘さも、醤油の加減も、家ごとに違う。祭りや祝いの日になると、それぞれの家で大きな木箱いっぱいに作り、近所に配り、配られた。どの家の味が正しいという話ではない。違っていることが、この料理の本来の姿である。

ばら寿司は商品でも高級品でもなく、庶民の、ハレの日のご馳走である。会長の話は、いつもそこから始まる。百貨店に並ぶ商品を作りながら、それを商品として扱わない。その一貫性が、この店の仕事を支えている。

綺麗にしすぎない

紅しょうが(イメージ)
紅しょうが(イメージ)

会長の言葉で、もっとも印象に残るのはここだ。

奇をてらった新しいものを出したり、いろいろなものを混ぜてごまかしたりしてはいけない。プロらしく見た目を整えようとすると、かえって本来の味が失われる。少し雑に見えるくらいのほうが、ばら寿司らしい風味と雰囲気が出る。

料理人が腕を見せる方向とは、逆を向いている。上手につくることではなく、家でつくられていた状態から離れないことに、技術が使われている。作り手としては、こらえのいる仕事である。

そのぶん、素材には手を抜かない。添えの生姜は、梅干しを漬けたあとの梅酢に漬けた、赤くてガリガリした昔ながらのもの。米は丹後産。かまぼこも、質のよい魚で作られた昔ながらのものを使う。ひとつひとつは地味だが、それらが複雑に絡み合って、記憶にある深みが出る。

だから、店の味も変えない。流行に合わせて甘さを調整することも、今風に盛り付けを変えることもしない。

涙を流した人がいる

丹後のばら寿司(イメージ)
丹後のばら寿司(イメージ)

会長にとって美味しい食べ物とは、食べたときに昔の情景が浮かぶものだという。

あるとき、他県でとり松のばら寿司を目にした人が、丹後で暮らしていた頃のことや家族のことを一気に思い出し、涙を流したことがあった。味がよかったから泣いたのではない。その味が、その人の時間を連れてきたのである。

ただ美味しいものではなく、思い出込みのばら寿司を出し続けること。会長が最大のこだわりとして語るのは、そこだ。

百貨店に並ぶということは、丹後を知らない人の目にも触れるということである。それでも味を動かさないのは、届いた先に、その味で記憶を呼び戻す人がいるからだ。新しい客に合わせて変えれば、その人たちの丹後が消える。

ひとつの妥協が、地域全体を下げる

一方で、会長の話には強い危機感が通っている。

奇をてらったもの、手を抜いたものを出すことは、その店の評判の問題では済まない。よそから来た人は、それを「丹後の名物」として食べる。美味しくなければ、下がるのは丹後という地域全体の評価である。

だから、本物を残す責任がある、と会長は言う。自分の店の話をしているようでいて、地域の話をしている。名前が売れた店ほど、その責任は重い。

まちの食を支えるのは、家庭だという考え

では、丹後が食のまちとして立つために何が要るのか。会長が挙げるのは、店の努力ではなく、市民の意識である。

ひとつは、「丹後は美味いものしか作らない」という誇り。新潟の米、秋田の酒のように、地域の名がそのまま間違いのなさを意味する状態をつくる。そのためには、市民自身がまず「丹後の食べ物は全部美味い」という前提に立っていなければならない。

もうひとつは、家庭のおもてなしと、地元の食への自信。よそから人が来たときに、「ちょっと待ってて、うちで作った美味いもん出すから」と言える家が、どれだけあるか。どの家庭でもそれができるようになれば、それが丹後ならではの色になる。

名店を増やすより先に、家の台所に自信を取り戻すこと。百貨店に商品を並べている人が、そう言っている。

商品にしない、という商い

郷土料理は、名物として売り出すほど商品に近づく。味は標準化され、見た目は整えられ、価格がつく。売れることは悪くない。だが、売れる形に寄せていくうちに、家庭でつくられなくなる。誰も家で作らない郷土料理は、看板だけが残る。

とり松は、その岐路で珍しい立ち位置にいる。全国に売りながら、売り物にしない。守っているのは店の味ではなく、家ごとに味が違うという状態そのものである。

自分の店の味を「これが丹後のばら寿司です」と言わないこと。それが、この会長の商いのしかたである。